CO-2N研究所

勉強ではなく、好きなことをとことん研究する場所。主に「演劇」「読書」について

言葉の責任

 多くの役者が「台本」を読み解いて表現をします。台本にはセリフが書いてあります。つまり、声に出して言葉を発します。これだけでは、音読と変わりません。これに感情や表現を加えていくと、演技になります。

 しかし、その言葉を乱暴に扱う役者が非常に多いのが現状です。それはどういうことなのでしょうか?

 

 

 

 

【台本を読むとは?】

 

 私は学生時代に「あなたは、本を読むのが下手」と言われたことがあります。演技を初めて1年も経たないときでしたから、意味がわかりませんでした。毎晩のように台本を読んで、自分の考えはしっかりとありました。

 

 しかし、演出家の言う「本を読む」は当時の私の本を読む行為とは違うことだったのです。

 

 

 

【そこにあるから読む】

 

 役者に付きまとう最大の難関はセリフ覚えです。私はセリフを覚えるために本を読んでいて、全体のことは考えていませんでした。私の役は、この作品にどのような影響を与えて、なぜ存在しなければならないのか? は考えることもしませんでした。

 

 「自分の役に用意されたセリフが書いてあるから読む」

 

 と言う行為は、自分のプランしか優先できなくなります。稽古場では演出家の指示が常に変わるものです。それに応えるためには、全体の流れを把握する必要があり、自分の役の影響力や立ち位置(ステータスが高い低い)も入れておかなければいけないのです。

 

 

 

 

【知らない言葉を発する】

 

 これも学生時代ですが、稽古中に先輩が「この言葉の意味わからないんだよね」と言いました。すると演出家が怒鳴り散らすように「言葉の意味も知らない奴が、セリフなんか喋るな!!」と叱りました。

 

 稽古は中断し、台本に書いてあるすべての言葉の意味を一日中かけて調べる作業が続きました。

 

 表現をする人間が、理解していない言葉を口にすることは、無責任と言っていいでしょう。自分がわからない言葉をお客さんに「理解してね」と言うことはできません。これは家電に詳しくない人に「この家電を買ってください」と言われる行為と変わりません。

 

 時代劇であれば、昔の言葉、その時代の常識、流行っていたもの、問題になっていたこと・・・多くの知識がないと台本を読み解くことが難しくなっていきます。

 

 多くの役者が、この作業を面倒くさがってやりません。そして適当な表現をして、役者人生を終えていきます。

 

 

 

 

【脚本家の意図を読もうとしない】

 

 勝手な解釈も罪です。もちろん、脚本家も人間なのでミスはあります。そこに漬け込んで「こっちのセリフに変えた方が良い」と判断してセリフを変える役者が多いです。本番で、しっかり台本通りのセリフで発することができればいいでしょう。

 しかし、稽古場でその癖がつくと、本番も違うセリフを発してしまうでしょう。

 

 なぜそう書いてあるのか?

 

 を追求しないと、自分が損をすることになります。

 

 

 

 

【まとめ】

 

 台本を書く人間は、常に全体を考えてセリフを書きます。何度も見直して、矛盾があれば書き直し・・・を永遠に繰り返します。完璧な文章は存在しません。しかし、それに息を吹き込むのは役者であり、その役者が好き勝手やってしまえば、脚本を侮辱することになります。

 皆さんは脚本があってこそ「役者」になれます。日常から、自分の発する言葉に責任を持って生活することが役者としての使命です。

 

 

 

 

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