「自由に演技しなさい」という悪魔のささやき
演劇のレッスンでは前回の発声シリーズと同じように、演出家の言葉というのは役者に大きな影響を与えると共に、自分の演技を最大限に引き出してくれる力もあり、その逆である負の連鎖へと導く場合もありますね。
今回は「自由」とはなにか? 考えていきましょう。
自由に演技しなさい
稽古場で演出家や演技指導者が「自由に演技しなさい」であったり、名高い演出家たちが「演劇は自由だ!!」と言うのを耳にします。皆さんも聞いたことがあるかと思います。しかし、いざそのシーンをやってみると「それじゃないんだよな」「違う!!」と言われた経験やそんな場面に立ち会ったことはないでしょうか?
その度に私は「自由って言ったじゃん・・・」と心の中で声になりそうなのを必死にこらえていました。
演技は自由ではない
結局、演技は自由ではないと割り切ったのは最近です。全員が自由な演技をすれば台本が求めているものを表現できないのは分かりきっていますね。これが本番になれば、照明の当たる場所に自分が入らなければいけないという不自由が生まれ、映像であっても画角に収まるように動ける範囲を指定される不自由が生まれ、音響さんが流す音のきっかけで動く。または自分のセリフがきっかけになる場合はわかりやすいようにセリフを言わなければいけないという不自由・・・挙げたら切りがありません。
自由に演技をするって一体どういうことなのでしょうか?
自由とはなにか?
そもそも「自由」という言葉はどういう意味なのか? 英語では「Freedom」「Liberty」ですが現在ではどちらの意味も同じになっています。日本語の「自由」を生み出したのは諸説ありますが、皆さんが知っている人物では福沢諭吉だと考えられているそうです。
自由とは
「自らを由(根拠)する」
と読む仏教用語からきているようです。すべて自分を理由にする・・・つまりは
「自分が行ったことに責任を持つ」
という意味があります。
日常でも自由を使いこなせていない
友人や恋人と昼食や夕食をする際に「どこ行こうか?」と言われて即答できる人はあまりいないでしょう。この時も自由な選択肢があるのに「なんでもいい」と人に任せる人がどれだけいるでしょうか?
もっと遡ると「今日は自由に作文を書いてください」と言われてすぐに書き出せた人がクラスに何名いたでしょうか? 人によっては1時間ずっと何を書くか考えているだけで終わってしまった人もいた記憶があります。夏休みの自由研究でも同じことが言えますね。
私たちにとって「自由」という言葉は行動を不自由にしてしまう傾向にあるようです。
どうすればいいの?
それではどうすれば自由を使いこなせるのでしょうか?
答えは簡単です。ルールを決めて選択肢を絞ることです。
上の例でもご飯の行く先を決めるときに「昼は中華だったから、違うものにしたい」「海鮮が苦手なんだ」「ご飯系? 麺系?」など選択の幅を絞っていくと決めやすいですよね?
作文も先生が「友達について書きましょう」「夏休みの思い出を書きましょう」などとテーマを指定してくれると書きやすさが増します。
演技で考えてみましょう。そのシーンで何を目的としているのか? を先に考えるのです。喜びを爆発させるシーンなのか? 怒り狂ってしまうシーンなのか? 重大なキーワードを話すシーンなのか? このシーンの目的を理解せずに演技をすることを私はとても重要視しています。自分たちが伝えたいことが何かもわからないのにお客さんに表現することは役者としてあまりにも無責任な行為です。そのシーンの目的が達成されるのであれば、それ以外は自由でいいと思います。稽古場で演出家が望む自由とは、このことです。そこから効果的に見せる手段を考えて決定する権利があるのが演出家です。
役者が自由を手に入れるには自分がシーンの目的を達成するという責任を背負った上で演技をすることが重要なのです。
まとめ
自由という言葉は危険な言葉であること、実は自由に縛られていることがわかったと思います。しかし、日常から自由と上手に付き合っていくことが演技でも活かされるでしょう。演技上達のヒントは稽古場だけに潜んでいるとは限りません。生活のふとした瞬間にも成長のチャンスやきっかけがあることを覚えておいてください。
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